人生は選択の連続だ、と人は言う。確かにわたし自身の人生を振り返ってみても、そう思う。大なり小なり、様々な選択をしてきた結果が今だ。今のわたしは42歳、夫と、1歳の子どもがひとり。自分の40代がこうなるとは、思ってもみなかった。
年齢を重ねて過去が連なると、様々な「もしも」が存在する。時間は不可逆だから、あのときに戻ることはできないとしても、過去の自分になにかアドバイスができるとしたら、「自分のことをもっと知り、人生の選択肢を増やせ」と伝えるだろう。未来の選択肢を増やすことができるのは自分だけだ。
25歳の頃、卵巣のう腫を患った。卵巣に液体や脂肪がたまってしまう腫瘍のことだ。わたしの卵巣のう腫は握りこぶし大以上あり、すぐにでも手術をしたほうがいい、という状態だった。
当時は会社員で、初めての部下もでき、仕事も、恋人ともうまくいっていた。結婚の予定もあった。「なんとなく」28歳までに結婚をして、「なんとなく」30歳までに第一子をもうけ、育休を取るか、専業主婦になるか、まあ、「なんとなく」そうなるだろう、と思っていた。
病気の発覚は、生理痛、下腹部の痛みに始まる身体の不調に「なんとなく」病院を受診したのがきっかけだった。病名がついてからは、息をつく間もなく選択が迫ってきた。「なんとなく」の選択しかしてこなかったわたしに、病気の診断は衝撃だった。
初めての手術、最初のターニングポイントのイメージ
エコー、血液検査、MRI診断などを経て手術の段取りを組む過程で、医師からは「今回の手術で、もしかしたら子どもができにくくなるかもしれない」と言われた。片方の卵巣は、ほぼ9割を切除することになるという。(これは人によるので、あくまでわたしの場合、として読んでほしい)
言われた瞬間は「まあ大丈夫でしょう」と軽く受け止めていたが、心の底では深くショックを受けていたと思う。「なんとなく」でしか子どもを持つ未来を想像していなかったわたしにとって、卵巣の切除、そして不妊治療に取り組む必要があるかもしれない、という事実にリアリティがなかったからだ。
振り返ってみると、ここが最初のターニングポイントだった。
この時点でもっと早く「子どもを持つライフプラン」について検討すべきだった。そしてその方法についても調べたり、情報を集めるべきだった。もしはっきりと「子どもを持つ」、という決断をできていれば、手術方法や手術時期の調整、卵子の保存だったり、様々な選択肢があったはずだ。
そして何より、当時の恋人と「将来子どもを持つこと」について、真剣に話し合うべきだった。
だが、わたしはそれをしなかった。怖かったのだ。真剣に話し合って、問題が明確になったら、どうやって決断したらいいのだろう?なにを選んで、なにを諦めればいいのだろう?どうしたらいいかわからず、うろたえた。そしてここでもまた「なんとなく」大丈夫だろう、と目を背け、深く考えないようにした。
自分の人生と向き合えなかった幼さのイメージ
手術は無事成功した。
だが、「なんとなく」将来のことを話せない状態だった恋人とは、結果的に別れることとなる。病後は良好だったが、身体に残った傷跡と、医師に言われた「子どもができにくくなるかもしれない」という言葉が頭から離れなかった。正直に言って、後ろめたかった。
後ろめたい、というのは彼と、彼のご両親に対してだ。わたしが普通の、なにも心配のない身体だったらしなくていい検討を迫ることになる。
もちろん子どもを産むためだけに結婚するわけではないが、わたしたちが「なんとなく」描いていた未来にとって、それは当たり前にあるものだった。
でも、もしかしたらその当たり前が、得られないかもしれないのだ。わたしはわたし自身の身体のことだから、気持ちの折り合いはつく。でも、身体のことを理由に、恋人や彼のご両親に拒絶されたら?そう思うと、なかなか「話し合おう」と言い出せないまま、ずるずると付き合いを続けていた。
そもそもわたし自身が「将来子どもがほしい」とはっきり結論が出せていなかったし、年齢の変わらない恋人にとっても、それは同じだった。人生の結論を出すにはまだ早い。まだ今の状態でいたい。ふたりともそう思う幼さがあった。
「子どもを持つこと」を含めて、自分たちの人生をどうするか、きちんと話し合えない状態。いま40代のわたしから見たら、それは幼さからくる「逃げ」だ。でも、当時にわたしたちにとっては、とても取り扱えない大問題だった。その結果、わたしたちは別れることとなり、わたしも自分の人生から逃げ続けることになる。
恋人と別れ、自分の人生と向き合うことから逃げた先は、仕事だった。まだ20代後半。一度仕事に思いっきり取り組んでもいいだろう。そういう思いも実際にあったし、それを今でも後悔していない。
「なんとなく」ではなく、意志を持って選んだ道は、楽しくもあり、ハードでもあった。キャリアを積むため誘われるままに転職をし、過労で心身を壊すことになる。気づけばもう30代。立ち止まりはしたものの、仕事のキャリアは形成できつつあったし、友人も恋人もいた。
だが、心の中に「自分は子どもを持てないのではないか」という思いが、深く暗く根ざしていた。新しく恋人ができても「わたしは子どもを持てないかもしれない」と思うと、そこから前に進むことをためらってしまう。自分の気持ちと向き合うのを恐れるあまり、わたしは「子どもを持つ人生」を肯定できなくなっていた。女でもバリバリ働く時代だ、と言い聞かせ、逃げていたのだった。
そんな中、出会ったのが最初の夫だった。
ふたつめのターニングポイントのイメージ
彼は「作曲家」という不安定な職業柄、自分は子どもを持つことを望まない、と言った。わたしもそれでいい、と答えた。自分の病気のことを打ち明け、ならふたりで生きていけばいい、と言われたとき、自分が肯定されたようでうれしかった。
「子どもはいらない、ふたりだけで仲良く生きよう」
お互いの合意は取れた、と思っていた。
ここがふたつめのターニングポイントだった。
結婚が具体的になったとき、本当に子どもはいらないと思っていたのかというと、たぶん嘘になる。でも、それを言い出すのが怖かった。もし正式に診察をうけ、シビアな不妊治療が必要になったとき、耐えられないと思った。自分が世界から拒絶されたように感じてしまいそうだったのだ。しかし当時のわたしに必要だったのは、正しい医師の診断であり、それをもとにした人生のライフプランをしっかり描くことだった。
そうやってわたしはまた、向き合うことから逃げた。結婚する相手だというのに、ただ一言、「子ども、ほしいかもしれない」と言い出すことができなかった。わたしの人生に付き合ってくれ、と正直に話せなかったのだ。
30代半ば。目の前にあったチャンスから、わたしは逃げた。
子どもを持つチャンスではない。「自分と向き合うチャンス」だった。
自分の本心を隠したまま成立させた結婚がうまくいくはずはなく、わたしたちは数年後に離婚を選ぶことになる。
再婚、そして……のイメージ
30代の終わり、またひとりになったわたしは「もうあとはおまけの人生だ」と思って生きていた。しかし、離婚したあと、一歩前進したなにかがあるとしたら、定期的に婦人科へ通うようになったことだ。
いくつか小さな子宮筋腫はあったものの、身体はおおむね健康だった。が、情けないことに、わたしはまだ「子どもがほしいのかどうか」という自分の気持ちと向き合えていなかった。妊娠しやすいと言われている年齢は、とうに過ぎた。子どもはもうこのまま諦めるのだろうな、とおぼろげに思っていたとき、今の夫と出会った。
出会ってすぐに結婚を意識していたので、夫には早い段階で手術のこと、子どもができにくいかもしれないということを打ち明けた。わたしは39歳。夫はまだ26歳だった。言い出すのには勇気が必要だったが、夫と出会ってはじめて「子どもはほしくない」という虚勢を張らずにいられた。夫と過ごすうちに、「ああ、この人の子どもがほしかったな」という気持ちが素直にわいてきたのだ。
わたしが相手に求めていたのは、「難しいかもしれないけれど、子どもがほしい。でも、できなくてもわたしを拒絶しないでほしい」というシンプルなことだった。そして夫はそのシンプルなことを、シンプルに承諾してくれた。なぜこんなことが言えなかったのだろう、と思うくらい簡単に。
そして1年後、妊娠がわかったとき、これがいいことなのか悪いことなのか、自分でも自信が持てなかった。40歳を迎えた直後で、リスクのある出産になるかもしれない。ハードな子育てを乗り切れるかどうかもわからない。
でも、婦人科で正式な検査を受けるときに「もし妊娠していたら産みますか?」と聞かれ、即座に「産みます」と答えていた。検査を終えたあと、「おめでとうございます、妊娠していますよ」という医師の声が、遠くに聞こえた。
「妊娠したよ」と伝え、当時まだ恋人だった夫が「どうなるかわからないけど、産もう」と言ってくれた夜、眠る彼の横でわたしは泣いた。ああ、わたしは子どもがほしかったんだ、としみじみ思った。
自分と自分の身体と向き合い、「人生のプランB」をもとうのイメージ
こうして振り返ってみると、何度もあったターニングポイントを、わたしは見逃してきてしまった。もっと早く、もっと自分に向き合って、自分の身体の状態を知っていれば、様々なリスクを避けられたかもしれない。
今後のことはまだわからないが、年齢を重ねるごとに、自分が選べる選択肢が減っていくのを痛感している。それは仕事でも同じだ。「仕事が落ち着いてから子どもを」という声もよく聞くが、わたし自身の人生を振り返ってみると、「仕事が落ち着く」タイミングなんていうものは、どこにもなかった。
自分の人生の選択肢は、自分でつくるしかない。子どもを持つライフプランにおいて、経済的な自立や、精神的な安定は必要不可欠だろう。いつがベストか、という問いに、正しい答えはない。自分がベストにしていくしかないのだ。そして思うのは、「なにも知らないまま選択肢をつくることはできない」ということ。
たとえば「子どもを持つ」という選択に関しても、早い段階で準備できることは多数ある。今回このエッセイを寄せるきっかけになった卵巣年齢チェックキットの『F check』のようなチェックキットの登場も、未来をプランニングするにあたり福音になるだろう。ライフプランの設計に、情報が多いに越したことはないのだ。パートナーとふたりの将来設計をするにあたっての参考にしてもいいし、独身であっても、自分のコンディションを知るため使うのもありだと思う。
もしかしたら、ほしいものをすべては得られないかもしれないけれど、それでも生きていかなければいけない。であれば、次の選択肢である「人生のプランB」はいくつでもあったほうがいい。それを作れるのは、あなた自身しかいないのだ。
いま、これを読んでいるあなたがもし、少しでも「子どもがほしい」と思っているのなら、選択しやすい方法で自分のコンディションを把握してほしい。病院にかかるハードルが高いなら、チェックキットを活用してもいい。そして自分の「人生のプランB」を検討してみてほしい。もちろんその上でどんな選択をしても、誰もそれを責められない。
あなたの人生は、あなたしか生きられないのだから。
会社員兼ブロガー。はてな(id:hase0831)を中心に活動。仕事はWeb業界のベンチャーをうろうろしています。一般女性が仕事/家庭/個人のバランスを取るべく試行錯誤している生き様をブログ『インターネットの備忘録( http://hase0831.hatenablog.jp/ )』に綴っています。同ブログをまとめた著書『ブログにためになることなんて書かなくていい』(インプレスコミュニケーションズ/デジカル)もどうぞ。